不真面目/真面目が1/1=1になるように

何でもあると人は幸せになれない?何も無いほど人は幸せに近づくという不思議

ベトナムに来て約三ヶ月。僕は最近凄い発見をしてしまった。

それは、「何でもあるとは何にもない。何も無いとは全てある」ということだ。

今日はこの気づきに関して説明してみようと思う。

スポンサーリンク

何でもあるとは何にも無い

まずは何でもあるとは何にも無いから説明したいと思う。

日本には何でもあるけど、全てはもってない

日本での生活を思い浮かべて欲しい。日本にいる時には気がつかなかったが、日本には何でもある。特に僕は東京に住んでいるので、なんでも手にはいる。

服が欲しいと思えば百貨店に行けばいい。美味しいお寿司が食べたいと思えば銀座か築地に行けばいい。欲しい本があれば本屋に行くか、はいるで注文で注文する。休日に遊びたければ遊園地なり、映画に行ける。欲望のままに好きことができる。

ただし、ないでも手にはいるからといって、全てが手にはいるわけではない。欲しいものを買うにもお金が必要になる。何かを買ったら置く場所が必要になる。やりたいことをやるには時間が必要になる。
なんでもある

そして、困ったことになんでもある生活では欲しいもの、やりたいことがドンドンと増えていく。テレビを見れば毎日新商品の宣伝を見かける。アマゾンのHPを開けばオススメの書籍を紹介される。街を歩けば誰かが身につけている物が欲しくなる。

何でもある生活は際限が無い。つまり無限だ。対して自分が持ってるものは有限だ。無限の前では有限は無いに等しくなる。図を見てほしい。手に入らない物が多すぎて悲しくなってくる。
有限と無限

何にも無いとは全てある

続いて何も無いとは全てあるについて説明する。

ベトナムでは何にも無いから全て手にはいる

ベトナムは東京の生活に比べて圧倒的に手にはいる物が少ない。美味しいお寿司は食べられないし、日本語の本も売ってない。欲しいガジェットは買えない。雪解けするようなかき氷もない。映画もベトナム語か英語だ。

もしかしたらベトナムでも手にはいる術はあるのかもしれないが、いかんせんベトナム語が話せない僕にはハードルが高い。東京での生活に比べ、ベトナムでは僕が手にはいる物は圧倒的に限られてくる。

じゃあ、不幸かというと不思議なことにそんなことはない。なぜならベトナムで手にはいるもので、自分が欲しいと思った物はほとんど手にはいるからだ。

ベトナムは日本に比べて物価が安い。食事なんてどんなに高級店に行っても一万円もかからない。服もそうだ。年がら年中暑いから半袖だけあればいい。そもそも対しい欲しいとおもう服がない。

矛盾するように聞こえるが、何にもないと全てが手にはいる。
何にもない

何にもないと人は満たされる

上の三つの絵を見てもらえばわかるが、何にもない状態の方が満たされている。不思議だ。自分か欲しいものが全て手にはいっている。

欲しいものが手にはいってない状態と、手にはいっている状態。どっちが幸福だろうか。答えは明白だ。断然後者だ。

つまり何でもある状態では人は幸福になれないが、何にもない状態に近づくほど人は幸福になれる。

我思う故に我あり

自分で書いていても変な感じだ。でも、考えれば考えるほど正しい様な気がする。

実は今回の発見にはまだまだ続きがある。あと何回かに分けて書くつもりだ。

考えているうちに断捨離の意味やら、自分か持ってるものにフォーカスすると幸せになる意味がわかってきた。

こういのは哲学になるのかな?なんだかハマってしまいそうだ。

発見のキッカケになった書籍はコレ

この記事が気に入ったら 「いいね !」 お願いします!
これからも役立つ情報をお届けします。

Twitter で

スポンサーリンク

プロフィール
Anabuki_Prof_10b.jpg
このブログを運営している穴吹英雄(ブッキー)です。東京に住む料理好きの元エンジニア。2016年9月に11年務めた会社を退職

調理器具好き。特にストウブが好き。20個以上もっているマニア。ストウブブロガー。

ブログのおかげでベトナム人の彼女ができて、無事に入籍しました!

月間29万PV突破!詳しいプロフィールはコチラ

バナー広告掲載ご案内はコチラ

LINE@始めました。よかったら友達登録お願いします!
126.19.123.10-5