ホーチミンに来てから基本サービスアパートメントと仕事場の往復です。さらに仕事場では作業着に着替えます。
そんな生活なのでとにかく着るものに無頓着になってしまいました。日本ではなくベトナムにいるっていうのも無頓着さに拍車をかけています。
そんな日々を過ごしていたら、オシャレするってどういう意味なんだろうと、ふと疑問をもつように。今日はその辺りのことについて書いてみようかと思います。
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ポロシャツ3枚の生活
ベトナムに来てから4ヶ月以上たちました。ベトナム滞在中は基本的に3枚のポロシャツをローテーションで着ています。(最初は二枚だったけどさすがに洗濯が追いつかなくなり三枚目を購入)
そのポロシャツも二枚は日本から持ってきたユニクロ製。一枚は現地で買ったポロシャツ。正直オシャレとは程遠い生活です。もう着れればいいやという感じです。
どうやらベトナム人化してきたようです。
ホーチミン市の中心部は別ですが、多くのベトナム人はオシャレとはかけ離れた服を着ています。収入も関係してるとはおもうんですが、基本着れればいいようです。暑すぎてオシャレとか気にならないのでしょう。上半身裸のおっさんとかよく見かけます。
オシャレは誰のために、なんのためにするんだろう?
そんな生活をしていたらふと疑問を感じてしまいました。
オシャレは誰のために、なんのためにするんだろう?って。
ベトナムにいるせいでオシャレに無頓着になったのは事実です。これが日本だったらもう少しオシャレに気をつかいます。
洗濯はサービスアパートメントがしてくれるので、服さえ買って用意すればオシャレな服を着れます。手間を惜しんでるわけではありません。オシャレをする必要性がないと感じているんです。
突き詰めて考えてみると、自分自身はなんも変わっていません。変わったのは周りの環境です。
オシャレをする必要性がない環境にいるため、オシャレを気にしなくなったんです。
言い換えると今まで僕がオシャレをする理由は自分の外にあったんです。
他人にどう見られるか。どう見られたいか。格好つけたいか。
そんな理由でオシャレをしていたことになります。
オシャレって生きていくいく上で必要ないんだな
もう一つ感じたのはオシャレって生きていく上では必要ないんだなと。
あまりオシャレを気にしないベトナム人。ベトナムに来てからオシャレを気にしない自分。どちらもなんの問題もなく生きてます。
別にオシャレをしなくても働けます。ご飯食べられます。彼女できます。本も読めます。運動もできます。寝ることもできます。お酒も飲めます。呼吸できます。
当たり前のことですが、オシャレをしなくても生きていくうえではなんの不自由も感じないんです。
だからこそオシャレしたいと思った
・オシャレをする理由は自分の中から湧き上がるのではなく、外部環境に左右される
・オシャレは生きていく上で必要ない
この二つに気がついた時、矛盾するかもしれませんがだからこそオシャレをしたいと衝動がでました。
今なら他人のためでなく、自分のために。必要だからではなく生活に彩りを加えるために。
そんな理由で自分のオシャレを追求できるんじゃないかと。やっとオシャレに関して自立できた感じです。
スティーブジョブズは毎日同じ種類の服を着ていました。あれは合理性を追求したわけでも、着るものに無頓着だったわけではないんじゃないかと。オシャレに関して自立した結果なんじゃないかと。
他人がどうこうでなく自分が着たい服を。毎日着るからにはどうでも良い服ではなく、自分が一番気に入った服を。
そんな風にオシャレに関して自立した結果なんじゃないかと感じました。
我思う故に我あり
明日は久しぶりの休みなので、軽く服でも見てみようかと思います。
まあ、なかなかベトナムだと気にいる服も見つからないとは思いますが。帰国してからは、洋服棚を整理して自分が望む服だけを揃えたいな。今から楽しみです。
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