自分の常識は世界の非常識?自分の意見が正しいと思い込むのは危険

みなさん、自分は常識的で常に正しいことをしいている思っていますか?

僕は自分のことを常識的で比較的正しいこと行いして、バランスがとれていると思っていました。しかし、ベトナムに来て外国人とつきあっていくうちに、少しずつではありますが変化が出てきました。

日本人が生真面目すぎるのかもしれない

先日の記事でベトナム人は時間をあまり守ってくれないと書きました。
ベトナム人の時間時間感覚を受け入れよう!いい意味でも悪い意味でもルーズ  | Fu/真面目に生きる

僕だけの感覚かと思っていましたが、そうではないようです。今回の仕事ではベトナムに長く駐在している日本人の方とも仕事をしていますが、おおむね同じ意見をもっています。皆さん納期管理などで苦労しているようです。

街を歩いていてもベトナム人の時間に関するゆるさがわかることがあります。例えば新装開店のお店。『8月10日 オープン!』とか書いてあっても、8月10日に開店してないことはよくあります。店内の一部だけでも開店していれば良い方です。

ベトナム人は時間や期限を守ってくれない。日本人の僕らから見ればある程度共通で感じる感覚。でも裏を返せば日本人が時間や期限に生真面目すぎるともとれます。ベトナム人からしたら日本人の期限に関する感覚の方か異常なのかもしれません。

例えば、ほとんど遅れ苦ことなく分刻みで運行している日本の電車。海外からすると異常で感動すらするとか聞きますよね。

多数決なら負けるとういう事実

ベトナム人以外に関しても、外国人は期限をなかなか守ってくれないとよく聞きます。発注した機器の納入が遅れているのにバケーションに繰り出す担当者。会社でも海外からモノを買うときは納期の確認を何回もしろと言われます。

外国人はダメだな。こんな風に考えることもできますが、これって単に日本人の偏った意見なんですよね。

世界の人口は約72億人。そのうち日本の人口はおよそ1.2億。60分の1。

「期限は守らなきゃいけない」

日本人からしたら常識的な考えかもしれませんが、世界からしたら少数派の意見。世界で多数決をしたら圧倒的大差で負けてしまうかもしれないんです。

自分の常識は他人にとっては非常識かもしれない

日本の常識は世界の非常識かもしれない。

関東の常識は日本の非常識かもしれない。

地元の常識は関東の非常識かもしれない。

自分の常識は地元の非常識かもしれない。
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考えていけばいくほど、自分の常識は世界単位でみると非常識な気がしてきます。むしろ自分の常識が世界の常識と一致する確率は天文学的に小さいんじゃないかとすら思えてきました。

それどころか自分の周りにいる人々すらあやしくなってきました。自分の家族、同僚、恋人、上司、恩師。常に他人と常識が一致することは不可能です。

自分の常識は他人にとっては非常識かもしれない

これは海外だけでなく、生きていくうえで常に意識しておくべきことなんですね。

我思う故に我あり

世界という単位で物事を考えていたら、もっと身近なことが見えてきた。物事って深いですね。書いていて面白くなってきました。

文中で書いた「期限は守らなきゃいけない」ってもの僕の中の常識です。そもそも「常識」って言葉自体が意味ないのかもしれません。

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